前回の続き。ジェイソン・ニューステッドが『...And Justice For All』の制作秘話や「消えたベース」について語ってくれています。管理人拙訳にてどうぞ。

2018-11-12-jason-feature

ステファン・チラジ(So What!のエディター)
じゃあ、ワン・オン・ワンのスタジオに話題を移そう。マイク・クリンクと行った最初の仕事とかもろもろ、どんな思い出があるか聞いてみようと思うんだけど。

ジェイソン・ニューステッド
ハッキリしているのは、ジャスティスアルバムでの俺の関与はとても限られていたってことだ。ベースのレコーディングとリハーサルのためにスタジオに行った日があったし、もちろんロサンゼルスのワン・オン・ワンにいる写真とかそういう活動のために行ったってのもあるけど、俺が覚えているのは自分はまだ小さなアパートに住んでいたってことなんだ。

古いトラックにフェンダーとかを積んでいた。おんぼろトラックでね。フロットサムのアルバムのレコーディングで使っていた、同じアンプ/ヘッド、同じ楽器を積んで自分でロサンゼルスまで運転していた。早朝には着いて、バンドが借りただか何だかと思われるアパートがあったんだ。どういうわけだか俺は鍵を持っていた。

着いたはいいけど、そこはメチャクチャだった。ジェイムズは立ち去ったんだと思う。そこには誰もいなかった。誰も掃除も何もしてない!だから俺がそこに行ったら、椅子か何かで眠り込んだ。そしたら朝の7:00に誰かがドアをノックして叫んでいるんだ。「オマエは誰だ?ここで何してるんだ?オマエに交代したって言うのか!?」その人が何について話しているのかわからなかったよ!それでとにかくベースを持って、次の日にはスタジオ入りしたんだ。

マイク・クリンクについてはほんのわずかだけ覚えている。彼はガンズ・アンド・ローゼズのアルバムとかを手がけた人だった。俺たちは「フレミング(・ラスムッセン)を呼ばないのか?コイツは何をするんだ?」「彼は『Appetite for Destruction』を作ったんだ。だから彼を呼んだらなんちゃらかんちゃら」とか、政治的なことやら何やらとかで、なかなか事態が進まなかった。俺は「俺たちはこれをレコーディングするだけでいいのか?俺は自分のものを練習してきた。ここまで運転してきた。没にすることもできれば、曲を提案することもできる。没にしちゃ、曲を提案する。没にしちゃ、曲を提案する。」って感じだった。「何日も曲に費やす」とかそういうことじゃなかった。これは「クソなものをクソ弾きする」ってことだ。それがフロットサムとかで俺が知っていたことの全てだった。限られた環境で、スタジオを買う余裕もない。6時間でアルバムを完成させる必要があった。集中して、自分のパートをプレイするんだ。


ステファン
それはとても興味深いね。

ジェイソン
それまで知っていたことはそれだけだったんだ。『Garage Days Re-Revisited』でも同じだよ。彼らは曲を演奏し、俺はベースを弾く。1曲目からポンッポンッポンッポンッと5曲だ。夕飯をとるために家に帰る。それでおしまい。なにも(ジャスティスアルバムの曲が)ちらつくものはなかった。だから俺は自分でわかっている同じアンプ、同じベース、同じものでプレイした。レコーディングして終わり。それを6日でやった。それで(ロサンゼルスから)北の方に帰るんだ。ロサンゼルスには1週間ほど行ったことになる。やれることは何でもした。それからツアーが始まった。アルバムに一体何が起きたのか、数か月後には出た。それがジャスティスアルバムで俺が関与したことだ。

ステファン
興味深いよ、それは私にその時間枠について2つの特別な思い出を思い起こさせるね。私は第一にツアー、つまり物事がとんでもないことになるモンスターズ・オブ・ロックについて始めよう。私はメチャクチャ圧倒されたのを覚えているんだ。ハッキリと覚えているのは、タンパにいた時にサミー・ヘイガーがキミたちの方へやってきてこう言った。「やぁ、キミらはやってくれたな!」って。楽し気にね!彼は(ヴァン・ヘイレンを)辞めさせられたにもかかわらず、非常に寛大だったようにね。あの時、これは本当の話だ、これはとんでもない出来事だって思ったことを覚えているよ。

なので、まず最初にあのツアーについてと、ラーズとジェイムズがアルバムをミックスするためにずっとその場を離れていたのをどう感じていたのか少し話してもらえるかな。キミはあの過程に関与したくてウズウズしていたのか、それとも「(ミックスに参加するのは)俺の性分じゃない、俺の領域じゃない、俺はここでこのバンドをロックンロール史上最高のライヴバンドとして確立する手助けをするんだ」と理解していたのかな。

ジェイソン
俺が(ミックスに立ち会うためにその場に)行くかどうか選べなかったよ。選択肢にすらなかった。ツアーの真っ只中で、その合間をぬって行っていた。ツアーはたった2つのセットだったからね。木曜。金曜、土曜だけ、それでもうまくいった。その合間の日で、どっちかが先に進めて、俺たちはホテルに滞在していたんだ。彼らがウッドストックまで登りつめて、あれをミキシングしている時にね。

ラーズはまだお祭り気分とはいかなかった。ジェイムズもだ。カークと俺は、何でもやった。二度、目を閉じて起きたら別のショーがあるように思えた。バンド全員がリムジンで旅行をして、何らかの理由であの2人にアルバムをミックスさせようとしていたことに対して実際問題、選択肢はなかったよ。俺たちもミキシングをやるなんて議題にさえ上らなかった。どちらにしても考慮にさえ入っていなかった。

質問のもう一方に答えようか。そう、今回は俺たちが何をしていたのかをみんなに伝えることだけだった!俺たちの目の前には大群衆。一日のなかで俺たちのエネルギーがピークを迎えた時にプレイした。会場に行ってマザーファッカーなものを見せることになる。とにかくみんなが俺たちのためにその場にいたんだ。そこにいた群衆の3分の1か、2分の1かは俺たちを観るためにそこにいたんだ。彼らはそこで何が起きているのか、今後何が起きるのかを聞いていたからね。

言っておきたいのは、30年だか何年だかのミュージシャンとしての自分のキャリアにおいて最もエキサイティングな月間のトップ3に入るってこと。俺にとっては特別な時間だった。それとガンズ・アンド・ローゼズとのこと(1992年のツアー)、それらは俺たちにとって最大の学習体験だったし、最も誇り高い勝利の瞬間でもあった。モンスターズ・オブ・ロックのこと、俺たちは2番目に名前があった。(出演するバンド)みんなはたとえどんなもんであろうと俺たちの後を追うのは怖かっただろうね。まさにそんな感じだったんだ。俺たちはそういうのをなぎ倒していった。まったく邪悪なもんだよ。全てがまだ速かった。300人規模の巨大な3、4、5のサークルピットがサッカー場のいたるところにできているんだ。邪悪だねぇ、ホント邪悪。手が付けられない。それに防弾チョッキね。あれは俺が経験してきたなかでも最も目を見張る、そして最も心を開かせるものだったよ。まさに心を打つものだったから。俺はようやく少し休んだ。バンドメンバーとしてのリズムをつかんでいた。あの当時、俺たちは約30か国で勝利を収めていた。夜のトリを務める自分たちのヒーローたちと、一緒にアメリカでやるチャンスが待っていた。スコーピオンズだって?マジで言ってんのか??(スコーピオンズの)『Tokyo Tapes(邦題:蠍団爆発!! スコーピオンズ・ライヴ)』とかがなかったら、俺はたぶんロックを好きにすらなってないよ。

ステファン
クールだね。それから私はその時代の第2の思い出がある。キミはこれを覚えているかもしれないけど、ルー(・マーティン、旧友であり、元フェイス・ノー・モアのギタリスト、ジム・マーティンの兄弟)と私がデトロイトのシルバードーム(私にとってこの場所で観たライヴは私のライヴ経験のなかでもメタリカを除いて最も素晴らしい経験のひとつになっている)に行った時のこと。それは私が今まであのレコード(ジャスティスアルバム)を初めて聴いた時でもあった。たしかキミの宿泊しているホテルの部屋にいたんだ。キミは大型のラジカセを部屋に置いていた。テープを入れて再生すると、(私は)技術的に洗練された耳ではないかもしれないけど、スピーカーから出てきた音にただ反応しただけだった。私たちは「おぉこれはかなり良いね、これはすごいよ。ヘヴィじゃないか」という感じだった。それからキミが立ち止まって「何か聞こえたか?」って言ってたのを覚えているんだ。私は「何を言っているんだ?もちろん聞こえたよ!」って言うと、キミはこう言ったんだよ。「ここにはベースなんかない。ベースが聞こえたか??」って。私たちは笑い始めた。なんだか奇妙で心地悪い笑いだった。私はどうすればいいか本当にわからなかったよ。キミは積極的に怒っていたわけじゃなかった。でも控えめに言ってもキミはちょっと驚いていたよ。

ジェイソン
当時、俺はかなり混乱していた。その5日前に俺たちが出したレコード、『Garage Days Re-Revisited』のベースはメチャクチャでかい。だから俺は「OK、これが俺たちがやろうとしていることなんだな、よし、俺はキミらに任せたよ」って感じだった。メタルバンドだし、重さが必要なはずだ。俺はそんなことを思っていた。プレミックスやキミが知っているようなテストや時間をかけての決定について俺は何もやっていなかった。そのどれも起きなかった。何かを聞いたり「それはそうすべきだ」とか言ったり、何か意見を言ったりする機会はなかった。「これが完成品です」それだけだった。

だからあるメタリカファンと同じように、俺は「メタルバンドのようには聴こえないな」と思う。ガレージバンドのようなんだ。それはガレージ・ミュージックになった。ザ・ホワイト・ストライプスとかそういうデトロイトのガレージ・ミュージック。今になって思えば、ジャスティスアルバムは、ギターとドラムのガレージサウンドの扇動者であり開拓者でもあった。

キミも知っての通り、最初の2年間は、腹も立っていたし、それがみんなに届いた時には、そう、聞いてあまり誇りに思えなかったとかいろいろな思いはあった。でも今、俺たちは(リリースから)30年を迎えて、みんながいまだにあれについて話している・・・それは完璧だと思うんだ。クソ完璧じゃないかってね。もしそういうことをやっていなかったら、みんなそこまで高らかに話してはいないだろう。これが結果だろ?素晴らしいじゃないか。「キミらはグラミー賞を逃した」(1989年に『...And Justice For All』はジェスロ・タルの『Crest Of A Knave』に敗れ、ベスト・ハードロック/メタル・パフォーマンス部門のグラミー賞を逃した)といまだにみんなが話をしているようなもんだよ。もし俺たちが勝ち取っていたら、誰もそれについて気にしたり、それについて何か言ったりしないだろう。でもみんなは今日も明日もそれについて話している。来週だってジャスティスアルバムの「あのこと」について話している。もしそういうミックスじゃなかったら、別のアルバムになっていた。あのガレージサウンドのおかげで伝説になったんだよ。

ステファン
それは、素晴らしい見解だね。私はあれがガレージサウンドだっていう事実について考えたことさえなかったよ。つまり、このレコードに対して付随する言葉として聞いたことがなかった。でもその通りだね。(続く)

Metallica.com(2018-11-12)

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