前回の続き。ジェイソン・ニューステッドが、メタリカのメンバーとの関係性について語っています。管理人拙訳にてどうぞ。

2018-11-12-jason-feature

ステファン・チラジ(So What!のエディター)
可能であれば、みんなをその場に連れて行って欲しい。つまり、覚えていることを教えて欲しいな。最初に曲を書き始めたときのこと、ジェイムズのようにやっていることが明らかに巨大で特殊なセンスを持つ誰かとジャムったときのことをさ。

それはどうだった?文字通り、できれば読者をその場のソファに座らせる感じで。「すげぇ、俺はコイツと一緒に曲を書いている」とか。どんな感じなの?どういう感覚が伴うんだろう?


ジェイソン・ニューステッド
最初の行は「言うだけなら金はかからない」ものであるべきだと思う。リフや楽曲のなすままに話をさせる。彼はそれを聞くつもりなんてない、ただのおしゃべりだよ。たわごとを弾いてみるんだ。もし(リフの出来が)よかったら、そういう反応だし、よくなかったら、そういう反応なんだろう。その意味で、彼(ジェイムズ)は口数が少ない男なんだ。ただビジネスに取り掛かる。それがスタートだ。そういう感じかな。みんなにとってのクールなイメージがある。

それで俺たちは俺のアパートのひとつ余った部屋に集まっていた。俺は自分の小さなスタジオに小さな4トラックとちっぽけなテーブルを用意して、1986年の「Damage, Inc」ツアーのポスターを貼った。俺や彼が角に座るには十分な部屋だった。

俺はツアー用じゃないベースで、あれこれ考えたものを何でも弾いていた。俺があのリフを弾きまくって、彼がそれに沿って弾いた。そしたら俺は「録音」ボタンを押し、それがリフを書き始めようとしていたあのアルバムのオープニングトラックになったんだ。

俺はフロットサムで曲を書くことを超えた考え方を持っていなかった。ベースパートを書く。何かの曲のイントロ、序奏、コーラス、ソロ、ベースラインなどなど。俺は作曲するということを十分に知っていたけど、当時の彼らの力量は、俺がフロットサムのメンバーたちと一緒にやったことの一歩先を行くとんでもないものだった。

彼らはすでに「Fade To Black」と「Orion」をやっていたから、いくつかのアイデアを収めたデモテープを彼らに渡すより、むしろわざわざ手こずるようなものを、彼らの目の前で演奏する力量に達する方法を理解しようとしていた。彼らと面と向かって演奏することはいつだってかなり威圧的なものだったんだ。でもいったん彼らからOKが出たら、それをもっと速くもっと激しく弾いていたかった。それはまるで最高の相棒の承認みたいなもんをもらいたいっていう子どものようだったね。

彼らがすでに制作してきたアルバムでとても多くの尊敬を集めていた。彼は日本で俺のものを実際に初めてテストしたヤツだった。何ヶ月もの後、バカげたいじめ、飲酒、お楽しみ、彼と俺はいつもつながっていた。ラーズと俺はそういったこと(エネルギー)で、ジェイムズと俺はこういったこと(リフや作曲)で仲間になったんだ。

俺たちはとてもよく似ている。トラックと銃がつきものの田舎の子どものように、間違いなくそういうヴァイヴが結ばれていた。生々しいメタルなもの、ヘヴィなものを弾きたいっていうこともね。俺たちはそういうことで結束していた。だから彼のOKサインを得ることは俺にとって本当に重要なことだったんだ。OKサインをもらえばもらうほど、俺のリフは増えていく。彼の良い曲をサポートしようとしていた。それは本当に俺がいつも言ってきたことだ。俺が出来うる最高にクールな材料を書いて、彼がすでにまとめている曲をサポートしようってね。

ステファン
このバンドのなかでキミが明らかに緊密な関係を持っていたのはカークだったよね。二人は誇りをもって音楽へのこだわりを持っていたし、音楽を愛し、「ハッパ」仲間でもあったようだね。一方で他の二人とは「仕事に行く」感じなのかな?

ジェイソン
たしかにさまざまな場面で分かれる同志の固まりがあったかな。俺がいた時の4人のメンバーのなかで、おそらく誰にとっても一番明白なのは「レノン=マッカートニー」だね。知っての通り、ソングライターであり、バンドのリーダーだ。彼らはそれをやったんだ。カークと俺は「じゃない方」だね。俺たちはステージ上で自分たちのことをやりとりして、相互に作用して、弱いつながりなんてなくて、4人合わさった力というのは俺たち個々人を上回るものなんだ。それによって俺たちは成功したんだよ。でも俺たちのあいだには違うものもあった。

俺がジェイムズについて説明していたように、俺たちはホットロッドで結びつきを持っていた。ラーズと俺は混じりっ気なしのエネルギーとかお互いへの理解とか推進力への感謝とかでつながっていた。彼は俺が今までにないものを持っていたし、俺は彼が持っていないものを持っていた。そういう尊敬とか憧れとか驚嘆すべきものはあっても、いつもお互いに深く掘り下げていて、いざとなれば互いに協力的だったからね。互いにかばい合っていた。俺たち全員そうなんだ。でもラーズと俺は、それぞれ違う時にお互いを本当にかばい合っていたと思うよ。そしてカークと俺は、そう、俺たちはホテルの部屋で夜2時までセッションし合うような仲だった。カークは心の広いヤツだよ。彼はそういうステキなヤツなんだ。彼はとっても気まぐれで傷つきやすい。だから俺のことに気を配っていたし、俺は彼のことに気を配っていたんだ。


ステファン
1つだか2つだか深夜のホテルのセッションから、ジャスティスアルバムに入ったリフはあった?キミたち二人のあいだでのジャムセッションで誕生したものは、あのレコードに入ったのかな・・・それとも実際にはそういうことにはならなかった?

ジェイソン
俺たちは全部録音していたから可能だったと思うんだ。そのうちのいくつかを提案することは可能だった。(実際どうだったかは)特に覚えていないんだよね。アルバムの何かになったリフっていうのを今すぐ挙げることはできないんだけど、たぶんそういった(録音された)ものを聞き直せば、時間とともに後に何かになった種を拾えるかもしれないね。

でも励まし合いについては、間違いなくあった。たとえドブロギターのスライドがファストなメタルには奇妙だろうが、考え付いたら俺たちはいつも励みにしていたんだ。
(続く)

Metallica.com(2018-11-12)

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