前回記事の続き。バンド内でのいじめ、メタリカ初来日時のエピソードについて語っています。管理人拙訳にてどうぞ。

2018-11-12-jason-feature

ステファン・チラジ(So What!のエディター)
他の3人が取り組まなければならなかった問題の深刻さをキミはわかっていた?キミが参加したとき、彼らが向き合うにはあまりにも多くのトラウマがあるっていう認識はあった?彼らがそういう状態にあったから、ある程度の間違いはあるだろうとあらかじめ受け入れていたの?あるいは「何てこった、これは俺がメタリカに加入する時から期待されていたものってわけじゃないだろ?」とキミが思うような瞬間はなかったかい?

ジェイソン・ニューステッド
俺は本当にそういう考えや認識、あるいは気付くまでの余裕なんてなかったよ。あのバンドに入るチャンスを得て、ベースでベストを尽くし、できうる限りのことをしようといっぱいいっぱいだった。それが全てだ。実際に全てではないけど、ほぼそれに近い状態というか…クリフの名声に沿うようにした、それは言うまでもないことだ。それはお決まりの文句とかそういうんじゃないけど、俺は彼を失望させたくなかった。彼らも失望させたくなかった。自分を失望させたくなかった。それが俺にとって重要なことだった。そういうもの全てから来るパンチをかわしているだけだった。悲しみやさまざまな反応?俺はそういうことは知るよしもなかったし、額でそいつをまともに受けるまでそういうことを認識していなかった。トーベン(ラーズ・ウルリッヒの父親)とジャン(クリフ・バートンの母親)と何回か会って、彼らは俺に少し心構えをさせようとしていた。でも誰かがそういうことを気付かせるという重要な役割を果たすなんてありえないよ。ノリに乗った勢いに乗じて、その全てのエネルギーを注ぎ、バスや飛行機や電車といったことでそういう機会を奪い続けたうえに、いまだに半端じゃない成功をおさめ続けているんだから!23か24歳の若者にとっては、信じられないくらい重荷だよ。

ステファン
キミがそうハッキリ言うと、本当に狂気だったんだね。

ジェイソン
でしょ?俺はそんなこと考えられなかったよ。ほんの一部も考えられなかった。そういうところまで、まだ成長しちゃいなかった。その時点で俺はペットを喪った経験があるだけだった。祖父母も健在だったから、そういう(クリフという仲間を喪う)ことは理解できなかったんだ。彼らにとってどれだけ重要な存在だったかはわかっていたから、一歩身を引いて、できうる限りクリフに敬意を払うようにしていた。俺にとって最も重要なことは、その存在を踏み越えないことだった。自分のできうる限りのことを最大限やっていたけど、そんなもの越えられないよ。敬意を持ち続けなくちゃならなかったし、俺が理解したってことを彼らが認識していると確認しなくちゃならなかった。そして俺はベストを尽くす。それが全てだ。子どものような驚きと強い興味と混乱、そんな状態だったよ!

ステファン
あの年齢のときには面白いだろうけど、これはあの時代のとてもたくさんのことをよく覚えているんだよね。時にキミが向き合ってきた「新メンバーへのいじめ」が深く刻まれた痛みを隠すことがあると。

ジェイソン
たしかに。

ステファン
実際に起きたいじめのいくつかに簡単に触れていこう。触れるべきなのは私が最も重要だと思っているひとつで(そして、おそらく非常にささいなことだけど)歯ブラシのことだったと思う。3つと1つがあったことを覚えているんだ。

ジェイソン
それは覚えてないなぁ!

ステファン
おぉそうかい。おそらくキミは見逃していたのかもしれないけど、テーブルの上に3本の歯ブラシが見えて、キミのが右だか左だか忘れたけど、(先が)ズレていたんだ。「なんかくたびれていて、ちょっと変だな」と思っていた。

ジェイソン
へぇ、詳しく話そうか!

ステファン
初めの頃のいじめで「これは変だな、でも俺はこれを乗り切って強くなる」と思ったようなことは覚えている?

ジェイソン
物事を解決するにしても、実際に起きていた何かは、人によってセンセーショナルにされたりとか、ちょっとした神話ができていたりとかするわけでしょ?覚えているのは、ごく初めの頃、バンドに入って最初の6日間だったか8日間だったかで、2つの重要なことが俺に起きていた。間違いなくいじめだろうと思われること。そして「内部で何が起こったのか」っていうことの残りは、彼らが対処していたことと俺たち一緒に対処していたことだった。

でも2つのことをよく覚えている・・・来日2日目のことだ。バンドに入って8日か9日、とにかく2週間以内だった。(アンスラックスの)スコット・イアンが俺たちの泊っているホテルにやってきたんだ。俺は飛行機での旅行でクタクタだった。このホテルっていうのが超素晴らしいところでね、みんな本当に丁寧な対応で贈り物やいっぱいお土産をくれたんだよ。メタリカが日本にいったのは初めてのことだった。「ビートルズ狂騒曲」みたいなことになって、脱出するための裏口があった。いずれも経験のないことだったね。俺も彼らと一緒にそういうことを経験した。初めてのことだったけど、ああいうのはどこにもないよ。初めて(メタリカで)ライヴしたのは(ウォームアップの)アナハイムでのショーだった。その3日後には日本をツアーしていたんだからね。俺たちはみんな、同じように目を丸くして「別の惑星」に来たんだ。なんてこった!俺たち、みんなよりも背がデカいぞ!!!女の子たちはみんなパニくってた。俺たちはそれまでそんなことなかった。俺たちの誰もがね。ツアーマネージャーだって、クルーのヤツだって、ジェイムズだって、俺たちはそれまでの人生で誰もそんなことを経験したことがなかった。

それでスコットは2日目にやって来た。俺たちはロス(・ハルフィン)とのフォトセッションをしていたんだ。日本庭園のある家とかシャッターチャンスのためにどこにでも行った。日本でタクシーに乗ると、小さいんだよね。イギリスやアメリカのタクシーとは違って小さい。俺が最初に乗って、みんなでもう一人を押し込んで、他の3人とスコットがちっちゃいタクシーに乗るには、俺が彼らの後ろに乗らなきゃならなかった。まぁそうして目的地に行って写真を撮った。それから飲みに行って、やることをやったわけだ。それは些細なことだったんだけど、彼らはテストをしていたんだ。

ショーをやって、あらゆることをやって、日本の主要都市を5つか6つ廻って、たぶん6公演はしたんじゃないかな?それからニューヨークに行ってマンハッタンに着いた。知っての通り、ジェイムズやみんなはヤクを打っていた。1986年の話だからね?だから彼らの血中レベルはずっと、得たいが知れないよ。星3つ!マジだぜ!?ジェイムズとサムヘインの人たち(彼らはボディービルディングでムキムキだ)はハイになって、何が起きようが、朝の4時とか6時とかまでニューヨークで飲みに行っているんだ。

そうして彼らはホテルにやってきて俺の部屋に来ると、ドアを叩き出すんだよ。俺は眠っていた。俺たちは日本をツアーしたばかりで、ずっとショーをこなしてきたもんだから、俺はあの1か月ろくに寝てなかったんだ。しまいには英語を話せるどこかでちょっと横になっていたってこと。そうしてそこに至ったわけだ。そしたら朝の4時にドアがノックされる。「役立たず野郎!」なんて言葉に俺は返答しなかった。気分の良いものじゃなかったしね。彼らは階下に降りていって、鍵をデスクから手に入れようとしていた。そりゃ鍵なんてもらえない。そしたらヤツら、ドアを蹴飛ばして部屋に入ってきたんだよ!!!

クルミ材の装飾品があるような古いホテルだったんだけど、ドアはバラバラに壊されて部屋に散乱していた。ヤツらは部屋に入るなり、俺が寝ているマットレスごと裏返して下敷きにした。それからあらゆるもの、あらゆる椅子で俺を下敷きに埋め始めたんだよ。俺のものは8階の窓から通りに投げ捨てやがってさ。「バンドへようこそ、マザーファカー!!!」って言ってドアから出ていったんだ。

それがあって今の俺がある。それがバンドに14年くらいいたなかで、いじめとして覚えている2つの出来事だ。どれだけ誇張されてしまったかわからないけど、それが一番覚えていること2つかな。

ステファン
興味深いね。これまで話してくれたことは全て記録に残しておこう。特にいじめについては誇張されてきたね、最後のはかなりのものだったけど!(続く)

Metallica.com(2018-11-12)


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