『Clash』誌のインタビューの続き。ジェイムズ・ヘットフィールドがメタリカを知らずにメタリカTシャツを着ている人についてコメントしていました。その他、ライヴでのファンとの掛け合い等について語っています。管理人拙訳にてご紹介。
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−みんなが音楽界に入ってきて、すぐに成功の最終目標を期待する今日では、たくさんの見込みが立っているわけですが、一方でメタリカは最終目標を見たことがありません。楽しむものをやろうとすることは(バンドでの)旅の全てなんでしょうか?

まぁ俺たちの目標ってのはうまくいかなくてね(笑)そういうことだ。それが最初の目標だった。「今の仕事はウンザリだから仕事をさせないでくれ。おまえの仕事について聞かせてくれ、そっちもクソだな。俺は工場勤め、オマエは新聞配達。働くのをやめよう。そいつはクールだ。これが俺たちのためになるんなら、最高じゃないか!」とね。利便性が標準になってきているなか、みんなが理解していない多くのチャレンジがそこにはあると思う。チャレンジがあるってわかる?それが何であれ、そういうチャレンジに直面して、それに取り組む。さっき俺が言ったように最近の子供たちはたくさんの選択肢を持っている。簡単だと思って難しくなっていたら、そこにはチャレンジがある。ハードワークすることは本当に素晴らしい人格形成だと思う。

−過去には同志と繋がることも簡単でした。なぜなら身に着けたものが自分の夢中になっているものと伝えることができたからです。アイデンティティを示すバッヂだとか。しかし今日、メタリカのTシャツを着ている子供はあなたたちの音楽を聴いていないという可能性が大いにあります。あなたたちのアイコンのロゴがファッションのモチーフとして採用されていることに対してあなたはどうお考えですか?

(笑)そうだね。まぁカリフォルニア州ノーウォークの小さなリハーサル室でナプキンにロゴをデザインした時、それがメイタグ(訳注:アメリカの家電メーカーのブランド)やボルボか何かみたいになるとは思ってもみなかった。とんがったロゴ、名前、ほとんどありふれたものだ。そうなるとは決して考えなかった。でも当時の俺たちの馬鹿げた考えはこうだ。「俺たちは世界を征服しようとしている。俺たちのロゴがいつか誰の身体にも入っていたらいいな。良いタトゥーだろ!」(笑)俺はグラフィックデザインが好きなんだ。もしバンドにいなかったら、おそらくそういうことをやっていただろう。Tシャツやロゴをデザインするのが大好きなんでね。母親はグラフィックデザイナーで装飾屋だったから、(自分も)同じようにアートが好きなんだろう。だから両方やることになった。商品を見ると顔に笑みがこぼれるよ。通りで両親と一緒にいる、ある子供を見たら、メタリカのシャツを着ていた。その子が俺たちの音楽を聴いているかどうかに関わらず、それはひとつの声明なんだ。だからひとつの声明として大いに気に入ってるよ。

−『Hardwired...To Self-Destruct』の後、あなたは以前のアルバムについての考えから触発されたサウンドについて話していました。過去を振り返ったことで、あなたの次の動きに繋がっていく何か他の思い出が戻ってきたということでしょうか?

とても面白いね。とても近くで、関わっているんだよ。みんながここから昔の曲との繋がりについてどう聴くかはわからないけどね。次のレコードの曲を書くのは俺たちだけだし、それが正しくて良いと感じるものなんだ。

−昔のアルバムでの主観的な感情を新しいアルバムに多く反映しているのでしょうか?

知っての通り、ここは自由社会だ。説明したいことを説明できるし、何をしたいかを説明することはできるけど、誰もが意見を持っていて、それをよく耳にする(笑)研究したかどうかは関係ない。言論の自由はとても重要だ。俺たちは何でも話半分に聞いておいて、結局良いと感じたらそうする。このレコードは良いと感じて出したものだ。俺たちは過去にやってきたものをまたやることには興味ない。過去を祝福し、やってきたことを楽しむことはあっても、それを再現しようとするのは俺たちにとって面白いことではないんだ。

−あなた方がすでに行ったことに従来の誇りがあります。なぜそれを(またやろうと)再考しないのでしょうか?

あぁ、いつもそこから走ったと考えるんだ。つまり常に怠け者になることや栄光に胡坐をかくとかそういうことを恐れていた。それから先は電話をかけ始める。俺たちはそんなことはやりたくないんだ。

−新しいレコードが再びツアーをする言い訳にすぎないバンドがたくさんいます。

うん。俺たちはいまだに自分自身に何かを証明したいと思っている(笑)それが何なのかわからないけど、次はもっと良くなるだろう。作詞家やギタリストとして、究極のリフ、究極のギターサウンド、究極の歌詞、完璧な韻とかそういったものをいまだに探しているんだ。まだ旅の途中だ。


−良いと感じるものを思いついて、その線に沿った時、あなたは新しいプロジェクトに心動かされるのでしょうか?

そう。アーティストとして、自分はとても不安定だとわかっている。何か良いものを書くと、それについて良いと感じるし、他の誰かがそれを気に入ってくれたら、もっと気分が良いよね。「俺に大丈夫だと言ってくれる人が必要なんだ」と怒っているところが俺にはある。わかるだろ?(笑)でも自分たちが良いとわかっている部分もあるし、正しい道を辿って正しいことをやっていることはわかっている。良い人生だし、意味があるものだとね。ツアーに出て、人々を幸せにする。音楽を通じてみんながそれぞれに楽しんでいるのを見ることになる!


−あなた方は完璧な誇るべき点を持っています。

本当にクールだね。俺たち4人だけを見ている人もいるけど、俺はそこにいるたくさんの人たちを見ることができる。みんな違う。みんながそれぞれ違ったやり方で感じるままに音楽を楽しんでいる。「おぉ、これは今までにやったことないな」って思うような、まぁ、ダンスをしたりしているんだ。好きなように楽しんでいるみんなを見ているよ。

−(目に留まるには)かなり圧倒的じゃないと。

そんなことはないよ。目線を向けることはできるからね・・・どんな曲でもそういう目がある。「よし、この人からのエネルギーをあてにしよう」とか「この人は少しグッタリしているな、行って何かハンドサインをしよう」とかね(笑)みんなから反応を得るのは面白いよ。俺たちのためにそこに立っている誰かが「ファック・ユー!」ってなったらそれは良い意味か悪い意味か?俺は本当にわからない。でも投げキッスでもして何が起きるのか見るんだ(笑)何が帰ってくるかを見るよ!

−観衆の中に間抜けを見かけたら、怒りの歌を歌うのに役立つはずですね。

あぁいつだって楽しいよ。俺がそんな人にひと掴みのピックを投げると、そこに人が押し寄せる。でも(それに限らず)すべての類のことがあるよ。70歳のご婦人から10歳の女の子まで最前列にいるのが見えるんだ。素晴らしいよね。(そんなことが起きるとは)決して考えてこなかったことだよ。80年代にはレザージャケットを着た長髪の汗だくの男たちだったけど、今やさまざまな民族やキャリアや体型の人たちの集まりだ。何もかも、全ての境界を超越している。イランやイラクからのフラッグを見ることさえある。素晴らしいよ。政治的な立場や宗教的なこととか気にすることなく、境界がないっていうのはとてもクールだね。自分たちがどこにでも受け入れられるものを創り出しているんだと思える。

Clash(2017-11-22)

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