Podcast番組「Alphabetallica」にて行われたメタリカのベーシスト、故クリフ・バートンの父親、レイ・バートンのインタビュー。Ultimate-Guitar.comの文字起こしを管理人拙訳にてご紹介。

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−受け取っている印税について

私が受け取っている印税から、彼(クリフ)が通っていた高校、カストロバレー高校の音楽教育のために奨学金として寄付しています。だから奨学金を受け取った子供たちはそのことについて私に感謝している。

クリフもおそらく自分のお金でそういうことをしていたでしょう。彼は何が何でも教育に逆らっていたわけじゃないですからね。学ぶことが大好きだったので。


−クリフ・バートンが初めてメタリカで収入を得た時について

あのアルバム(メタリカのデビューアルバム『Kill 'Em All』)がどんな意味を持つかなんて全く考えたことがなかった。クリフが初めて印税の小切手を受け取った時、これは大事になる可能性があると気付いたのです。

たしか1500ドルでした。彼(クリフ)は「母さん、父さん、これが俺が初めて受け取った印税小切手だ。さぁ今夜はディナーに連れて行くよ。」と言ってね。「OK、では行こう!」と。カストロバレーのすぐそばにあるヘイワードで、彼が大好きなお寿司の店に行ったんです。それが将来大きくなるかもしれないと思った最初の出来事だったかもしれない。


−メタリカとしてのクリフ、そして現在のメタリカについて

ジェイムズとラーズ、そしてデイヴ・ムステインを初めて観たのは、サンフランシスコのストーンでのライヴでした。(妻の)ジャンと私はクリフが新しいバンドで演奏するのを観に行き、彼らはとてもうまく行っていた。彼らは皆、止まらないモップのような髪の毛をしていて、とても楽しませてくれる。そして素晴らしいことに、彼らはいまだに楽しませてくれます。

私はメタリカのコンサートに行くのが大好きです。音楽は私の好きな(ジャズの)ビッグバンドではないけれども、面白い。音楽というものは楽しいものであるべきで、彼らは確かにそうですからね。

ジェイムズはシンガーとしてもフロントマンとしても素晴らしい仕事をしている。彼はまさしく完璧な適任者です。一度、彼に高校でチアリーダーだったか訊いたことを覚えてますよ。大笑いしてましたね。彼はチアリーダーとは程遠かったと。

いつも私を驚かせてくれました。言ってみれば、とても無口で目立たなかった子が、まず素晴らしいギタリストへと変化を遂げて、自身のヘヴィメタルの曲を歌い、群衆を巻き込むようになったのですから。

−息子クリフ・バートンについて

彼は格別の子どもだった。私たちにとっては一人の良い人間でしかなかったけど、彼は決して私たちに何か問題を起こすようなことはなかった。ドラッグにはハマっていなかった。ただ、ビールとアルコール類は例外でした。

一度だけ彼が(友人でドラマーの)デヴィッド・ディドナートと酔っぱらって帰ってきてね・・・(笑)深夜2時にドアがノックされて、(クリフの母親の)ジャンが応対に出た。すると会話が聞こえてくる。ジャンが「レイ、こっちに来て!」と言うので、起きて行ってみると家のなかでデヴィッドがクリフと取っ組み合いをしていた。私たちはクリフを彼の部屋に連れて行った。彼はひどく酔っぱらっていたよ!(笑)

とにかくジャンは全てのことを心配していた。だから私はジャンに「何回かあったことだから、後は私がやるよ。ベッドに戻りなさい。」と言ってね。クリフをベッドに座らせると、シャツを脱がせて彼が寝る準備をして。彼は18歳かそこらでした。

私が彼のシャツを脱がせて寝させると、彼は顔に酔った笑みを浮かべて「あなたは世界で最高の父さんだ!」と(笑)アルコールでどうなってしまうのかというのは面白いものだね。

そんな風に私が本当に素敵な父親であるかのように扱われたから、私はいつもそうあり続けた。もちろん、それは私がそうなりたい、そうしようと思っていたところですが。

母親、父親との関係にとても好意的な子どもを持つと、子どもについて何もとやかく言えないものだよ。まさにそれがジャンと私の場合でした。

Ultimate-Guitar.com(2017-08-09)

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