ロックの殿堂入り式典に参加するためにニューヨークを訪れたラーズ・ウルリッヒがRollingStoneのインタビューにて『Kill 'Em All』『Ride The Lightning』のボックスセットと当時のエピソードを話していました。ロングインタビューを管理人拙訳にてご紹介。

metallica

4月上旬の雨の木曜日、ラーズ・ウルリッヒはニューヨークのお気に入りの場所のひとつ、ロバート・デ・ニーロが所有する豪奢なホテルにいた。「ここの中庭で座っているのが好きなんだ。」天気のせいで避けることとなった窓越しのお気に入りの場所を身振り手振りしながら、彼はそう言った。「普段はそこの外に座っているんだけどね、晴れていれば。」

このドラマーはディープ・パープルのロックの殿堂入りのプレゼンターとして、短い期間この街に滞在している。彼とメタリカのバンドメイトたちがレコードストアデイ大使としてインストアライヴを行うべくサンフランシスコに戻る前に、次の日には熱烈な栄誉に包まれることとなる。ホテルのピザらしきものをみつめているにも関わらず、目前の主題はバンドの過去にあった。

今日、メタリカは最初の2枚のアルバム、1983年のスラッシュ・ツアーの力となった『Kill 'Em All』、次作でさらにメロディアスになった1984年の『Ride The Lightning』をリイシューした。レコードのリマスター盤の単独リリースに加えて、彼らは数枚のディスク相当の未発表音源で構成されたデラックス・ボックス・セットも制作した。

「ごちそうだね。」CD、DVD、ビニール盤として散りばめられた掘り出し物のコンサート音源、楽曲の別ミックス版、デモ音源、ビデオ・インタビューを含むボックスセットをウルリッヒはそう呼ぶ。2つのリイシューはともにライナーノーツと未発表写真を含む本がついてくる。

このリイシューには、−メタリカの『No Life 'Til Leather』のデモテープ・カセットの再リリースで昨年始まった−長きにわたるリイシュー・キャンペーン開始の前触れがあった。それはバンドカタログとして続いている。計画の一年後の現在、最初の2枚の主要なリイシューがファンの手に渡るのを興奮して観るのだとウルリッヒはRolling Stoneに語った。

−なぜこれらのリイシューをしたいと思ったのですか?

これまでいくつか畏敬の念を抱くようなリイシューが出されるのを観てきた。ディープ・パープルもそうだし、U2も『Achtung Baby』の20周年記念リリースみたいに素晴らしいものをやった。オアシスが『Definitely Maybe(邦題:オアシス)』でやったのも好きだね。しばらくのあいだ、俺たちのアルバムがそういったリイシューのランキングに加わるのを楽しみにしているよ。


−最初の2枚のアルバムのリイシューを行って気分上々といったところでしょうか?

そうだね。でも俺はエネルギーの行き交うのを体験しているんだ。こうして一日中ここに座って、ジャーナリストたちに1984年に朝食で食べたものを答え、(メタリカのマネージャー)ピーター(・メンチ)とクリフ(・バーンスタイン)と座って2017年とニューアルバムについて午前中ずっと話していたんだ。面白いよね。

−最終的にボックスセットを観た時、あなたは何が頭に浮かびましたか?

実際、まだ俺の手に本物を持っているわけじゃないんだ。ジェイムズと俺は開封するビデオを録った。これは他の誰にも教えないと約束するよ。どのジャケットの中にも本物のレコードは入っちゃいなかったんだ。でも俺は最初こう思った。「なんてこった、こんなにいっぱいある」次に思ったのは、この本の中身は本当にクールだってことだね。

こういったものを一緒に詰め込んで、俺はあれやこれやと承認作業をしていた。(iPhoneを持ってきて)普段はこのデバイスでね。だから実際のサイズで手にしたら、12×12インチ(約30センチメートル)の本だったんだ。最高だよ。この厚み、この重さ、このサイズ、良いよ、クールだね。このリイシューにのめり込めばのめり込むほど、これにもっともっとと詰め込んでいくだろうね。分かってくれると思うけど、残念ながら30年のあいだに無くなってしまったものもある。だから次のリリースにはもっとごちそうを詰め込めるだろうね。でもこれは始まりの場所にしては素晴らしいし、ここから始まるんだ。

−デラックス・リイシューに入れる“ごちそう”を見つけるプロセスはどんなものでしたか?

これのためにブツをみつけようとあらゆるものをひっくり返したよ。そこに全てを詰め込んだもんだから、台所の流しって呼んでいたよ。2021年のリマスター盤のために何か取っておくなんてことはしていない。そんな思惑は一切なしだ。でもブツは発掘し続けているよ。マスターテープみたいなもので、クソはただ消えゆくのみだ。実際、この2年間俺たちのために働いてくれた一人は、世界中のレコード会社の倉庫を見て回ってメタリカの音源を捜し出すことだけが仕事だった。間違って表示された多くのクソがあった。すぐに俺たちがそれを聴いたら「これをみつけたんだけど、スティーブ・ミラーのボックスセットに入ってるんだな」そうして俺は「OK」ってなるのさ。

−あなたが最も「わぉ!」となるこのボックスセットの中身はなんですか?

未発売の映像ものは特に好きだね。ジェイムズと俺が1985年の「Day on The Green」でやったインタビューの編集前映像がある。15分か20分くらいで固定カメラで行われたんだ。未編集のものをみたけど本当にクールだね。俺にとって自分たちの口癖だったり、俺たち2人のあいだの関係性は本当に面白いよ。



−「Day on the Green」のコンサートはバンドにとってのターニングポイントでした。DVDのなかのひとつにはあのフェスティバルのライヴパフォーマンスが収録されていますね。あのフェスについて何か覚えていることはありますか?

「Day on the Green」とあの夏は間違いなく常軌を逸していたね。「Day on the Green」の2週間前、俺たちは初めてキャッスル・ドニントンでモンスター・オブ・ロック・フェスティバルに出演した。あのステージに出て、ボン・ジョヴィとラットみたいなバンドたちと出演するというのは大きなことだった。間違いなくドニントンは聖地みたいなものだよ。

だからカリフォルニア、カリフォルニア北部の人たちにとっての「Day on the Green」は、とりわけ70年代半ばに始まった「Day on the Green」に全部行っていた経歴を持つクリフとカークにとっては、何と言うか伝説的フェスなんだ。ショーに出演したという事実は重大なことだった。下から2番目か3番目の出演料だ。駐車場でやってるただの前座じゃない。本当に常軌を逸していた。オークランドとかバークレーのクラブで800人の酔っ払い相手じゃなくオークランド・スタジアムで6万人を前にメタリカが出て行ってライヴをやるんだから。少なくともかなりの人数が俺たちのことを知るか(ファンとして)付いてきてくれるかしてくれた。それはかなり重要なことだ。歴史的観点であの当時俺たちがやっていたことをみれば、まだメインストリームの外にいた。だから俺たちがこういった類のことを始めた時、「Day on the Green」はかなりメインストリームだったから、もちろん出演を引き受けるってことを説得しなくちゃならないって思うわけだ。出演を認められて本当にクールだったね。俺たちはこの先何年もの大きな信頼を得たんだ。

−『Ride The Lightning』のリイシューではあなたの最初のテレビ・インタビューといわれるものも収録されています。そのことについては何か覚えていますか?

あれは俺のテレビ初出演だ。俺たちが『Ride The Lightning』のレコーディングをやっていた1984年の春、デンマークのテレビ局がスウィート・サイレンス・スタジオにやってきた。俺たちは編集前の映像の一部を入手したんだ。ジェイムズと俺とクリフが座って、俺が思うに「Ride The Lightning」を聴いている2つのカットがあった。俺たち3人と(プロデューサーの)フレミング(・ラスムッセン)を見られたのは本当にクールだったね。写真じゃない、動画だよ。そこでまた俺たちの口癖なんかを見られる。間違いなくいつでもどんなものでもクリフについての掘り出し物があるね。貴重だよ。そんなにたくさんはないものだから。

−当時のバンドのその他の一連のインタビューも含まれていますね。そういったものを聴きながら、若い頃の自分について何が印象に残りましたか?

可笑しいよ。まだボールが落ちていないようなものだ。俺たちはずっと甲高い声で喋っているけど、テープの劣化のせいにはできない(笑)。若々しいエネルギーや、曲の間に挟む当時のジェイムズの冗談なんかを聴くのは本当に楽しいよ。彼はキャラクターになりきっていたように見えるし。

−どういう意味ですか?

彼は当時ステージ上で、ある種のメタル・キャラクターになっていた。今はただ観衆に話しかけているけどね。ある時点でもっと友だちのように観衆に話しかけるように変わったんだ。でも当時はもっとキャラクターみたいになって、曲紹介をしていた。「「Phantom Lord」に頭を垂れろ(Bow to the Phantom Lord)」って言ってから始めるとかね。そういったものを聴くのは面白いよ。

−彼自身はそういったものを聴いて何か言っていましたか?

わからないな。俺たち、スタジオでは互いに行方不明だったんだ。彼がヴォーカルをやっていると、俺は別のことをやっていたし。だから俺たちは一日おきにスタジオ入りしてたみたいで、そういった類のことを話す機会が本当になかったんだよ。

−クリフに関連するものを見つけるのは貴重だと言っていましたね。『Kill 'Em All』のボックスセットには、彼のベースソロ「Anesthesia (Pulling Teeth)」のラフミックスが入っています。あれはどんなセッションだったんでしょうか?あれは即興だったんでしょうか?

そうだよ。「Anesthesia」で、クリフはグループに参加したばかりだった。他の誰かを軽視するわけじゃないけど、彼はレベルが違ったんだ。彼は前に所属していたバンドでベースソロをやっていた。彼がメタリカに加入した時、彼は俺たちといてベースソロをやっていいか尋ねてきたんだ。俺はこうさ。「あぁ、ベースソロやってくれよ。」その当時、ドラムソロとかソロパートは自分たちでやることには冷ややかな目で見ていた。でも彼の才能ならやるべきだと思った。だから俺たちは当時、協力してベースソロをやるための方法をみつけようと模索していた。そうして、ドラムパートを置いてもう少しみんながぶっ叩けるようなリズミカルなものを加えるのが、真っ当なやり方だと思ったんだ。それからレコーディングする段になって、ただのベースソロじゃなくて、もう少し構成を加えたものに変えたのさ。違うダイナミクスが加わって、ほとんど別の見世物みたいになった。第一幕、第二幕、第三幕みたいにね。

俺たちはニューヨークのコダックビルの近く川べりのダウンタウン、ロチェスターにある古い倉庫でレコーディングした。ドラムスはコントロールルームがあったフロアの2階か3階上の部屋に設置していた。俺は(ドラムを叩きながら)クリフを見ることはできなかったと思う。互いの音を聴いて、セッティングして演奏したんだ。みんながあれをベースソロだと理解できるかわからなかったね。だからエンジニアに言わせたんだ。(おどけた調子で)「Bass solo, take one.」ってね。たとえテイク7だったかもしれなくてもね。

−あれは一発録りじゃなかったんですか?

おっと、これはRolling Stoneの独占スクープだな(笑)。クリフについてのああいったタイプのものは何事も本当に即興的なんだ。彼はそれ以上のことはやらなかった。もし5回違うテイクがあっても、その5回ともそれぞれ全く違うものになっていたと思うよ。


−なぜ他のテイクを収録しなかったんですか?

残念ながら、俺たちは持っていないんだ。もしそのアウトテイクを見つけたら、喜んでシェアするよ。あのマスターテープは残念ながらまだ行方不明なんだ。メタリカの最重要捜索リストで、それは間違いなく最上位にあるよ。

−『Ride The Lightning』のボックスセットでもうひとつ面白い収録物に、当初「When Hell Freezes Over」と題された「The Call of Ktulu」のデモ音源があります。クリフがH.P.ラヴクラフトを参照したのでしょうか?

そうだよ。彼がクトゥルフ神話とかラヴクラフトとかそういったもの全てを持ち込んだんだ。「When Hell Freezes Over」は実際には83年夏の『Kill 'Em All』ツアーをやっているあいだに書いていた楽曲だった。あれが次のレコードのために書いた最初のひとつだ。タイトルは変えたけど。


−スペルも「Cthulhu」を「K」からにしていますね。

ジェイムズ・ヘットフィールドがちょっと前のあるインタビューのなかで、最大の後悔のひとつはラヴクラフトが書いた通り「Cthulhu」のスペルにすればよかったと言っていたのを俺は知っているよ。「C」と「H」のところが発音しようとすると相当言いにくかったんだ。15文字かそこらあるんじゃないかってくらいにね。だからみんながもう少し発音しやすくなるように考え出したんだ。でも同時に、84年春にレコーディングするために曲を書き始めた時から、こういった楽曲全部は生ものであり生き物なんだ。当時の9か月は本当に長い時間だ。だからあんなにたくさんあった材料のなかで、さらなる変更がなかったという事実には実際驚くよ。

−『Kill 'Em All』のリイシューについてのあるインタビューのなかで、あなたはレコードを制作したことのある人は自分でプロデュースしようとは思わないだろうと話していました。今、聴いてみて何か違うことをやっていればというものはありますか? 

それについては言わせないでくれよ(笑)。俺はもうそういうことは考えないように自分自身を保ってきているんだから。これが安っぽい音だってのはわかってる。それは最初に言っておこう。でもあのレコードのひとつひとつは俺たちにとってタイムカプセルや写真なんだ。『Kill 'Em All』は1983年の春をビニール盤やCDやMP3やらに封じ込めたものだ。それ以上でもそれ以下でもない。一連の楽曲は予算上の結果であり、創造的意思決定の産物だ。俺はこういった類のことについてはとても実務的なんだ。レコードを作るということは意思決定のプロセスなんだよ。

−そうですね。しかしあなたが『Kill 'Em All』をレコーディングした時、あなたは19歳でした。その意思決定は(今と)違っていたのでは?

まぁ俺はそれについてはそれほど現実的な音にしたくはなかった。でもこうして座って「チキショー、「No Remorse」の最初の部分はスネアドラムをもう少しデカくしたかったな」とはならない。俺はただ受け入れること、選んだ選択肢に誇りを持つことを学んできた。何か違っていたらとは思わないね。それは全て物語の一部なんだから。

俺は人生は選択肢と意思決定の連続だと信じている。他の人たちが物事は起こるべくして起こるとか、もっとスピリチュアルなものだとか信じていたとしても、それは構わない。当時の俺たちはレコードを制作することに興奮どころじゃなかったんだ。俺たちは4、5週間あの場所にいた。かなり厳しい予算制限があって、俺たちは生きて食べるってだけ。その多くは困難なことだったけど、20歳そこらだ、気にするかよ?そんなことでひるむこともない。ただ対処してくってだけさ。だからそれでいいんだ。


RollingStone(2016-04-15)

「スタジオで顔を合わせてないの!?」
「Take 1じゃなかったの!?」
「スペル変えた理由、発音しにくかっただけなの!?」


と訳しながら新鮮な驚きを味わえたインタビューでした。ちなみに「Bass solo, take one」と言っているのはエンジニアとして『Kill 'Em All』制作に参加していたChris Bubaczと言われています。

完全に余談ですが冒頭で出てきたロバート・デ・ニーロがオーナーのホテルはザ・グリニッジ・ホテルのこと。
http://www.thegreenwichhotel.com/

ラーズお気に入りの中庭。
greenwich hotel courtyard

微妙な名前のスパもある模様。
shibui_spa

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