ラーズ・ウルリッヒの伝記本『Lars Ulrich - Forkalet med frihed』翻訳シリーズもついに最終章です。有志英訳を管理人拙訳にて。

ヘヴィメタル界の『Master Of Puppets』のブレイクはラーズとバンドに経済的に良い見返りをもたらした。そしてバンドメンバーたちはメタリカにお金を再投資することを選んだ。彼らは次のレコーディングの準備ができており、稼いだドルを無駄にする時間などなかったのだ。しかし、1987年2月の「Damage Inc.」ツアーの終演後、ラーズと(一緒にアメリカに渡ったパートナー)デビーはストックトン・ストリートのアパートを売り払っていた。そして今は亡きメタリマンションから2ブロック先にあるノース・バークレーでもっと広い家を借りたのだった。

メタリマンションから離れることによって、メタリカは新しい編成が導入されてから本物の素晴らしいリハーサルルームに別れを告げた。(防音のために)壁にとりつけた卵トレイでは、「最も優遇された」隣人の座を守るには充分ではなかったのだ。(たしかに)苦情は多かったが、メタリカに最初のいくつかのレコーディングの基礎を創り出したであろう、不変のリハーサルルームだった。

メタリカはようやく適切なリハーサル場所を見つけるための経済的な手段を持ちえたのだ。1987年春、バンドがまず選んだのは、サンフランシスコ北部の摩天楼であり、アルカトラズ刑務所と壮大な港の景色を臨むサンフランシスコの象徴、ゴールデンゲートブリッジ出口、サウサリート郊外の小さなスタジオを借りることだった。ジェイソン・ニューステッドと初めてのレコーディング、『Master Of Puppets』の続編のための新曲作りを始める計画だった。

しかし、メタリカがこのスタジオがパッとしないことに気付くのに5分とかからなかった。スタジオは同じ時期に違う部屋で始まっていた別のバンドたちの間にあって機能不全となっていたのだ。メロディック・ハードロックバンドのナイトレンジャーが隣の部屋でレコーディングを行っており、60年代のバンド、ジェファーソン・エアプレインの現在のラインナップである(名前を変えた)スターシップがもう片方の部屋にいた。初日は古き良きNWOBHMのカバーで時間を浪費した。2日目も似たようなもので、メンバー同士で楽器を取り替えてみた。ただ面白いというだけで、実りの多い違いはなかった。

おそらく聞くに堪えないこのようなセッションでは、バンドが1日の休みを取るのは当然のことだった。「スタジオ入り日」4日目は、ジェイムズ・ヘットフィールドが、スケーターにとって夢のような斜面、水を抜いて空になったプールを試走するためにオークランドへスケートボードを持って行った。ヘットフィールドは数ヶ月前の事故から何も学んでいなかった。転倒してスケートボードからプールの底に落ちてしまったのである。その結果、腕を2箇所痛めることとなった。

どんな作曲でも出発点はメンバーたちが「リフ・テープ」と呼んでいるものからいつも始まっていたため、メタリカは曲を書くことが不可能となってしまった。ラーズはジェイムズに自分のリフのアイデアを口ずさみ、ジェイムズはそれをギターで弾いてみせて、ラーズのテープに録音していたのだ。スタジオでのジェイムズのヘヴィなリズムギター無しにリフのアイデアを再現するという選択肢は絶対になかったし、ジェイムズが回復する6月か7月まで手持ち無沙汰でいる場合でもなかった。

ヘレルプ駅の大時計の針は動いても、バンドはそうもいかなかった。ラーズは自分の新居を見渡して、バンドが飛躍していくためにジェイムズの腕がギブスで固定されていても何か役に立つものはないものだろうかと考えていた。サウサリート・スタジオで非建設的な日々を送った後、ラーズとバンドは一点の曇りもない認識に至った。バンドは音楽、そして作曲、演奏、そしておふざけのできる自分たちの場所が必要だと。スタジオ入りして、ただそこに突っ立って、古い曲のカバーをジャムしてばかりで、深い意味があったのかもしれない?うーん・・・

ラーズの頭のなかでピースがうまくハマっていった。彼は労働者のように、動けるバンドメンバーに連絡を取った。

5月の終わりまでにラーズとカークとジェイソンは、ラーズのダブルガレージにしっかりとした防音装置を取り付けたリハーサルルームを創るために懸命に動いた。6月の初めには、メタリカは極私的な場所で再び古き良きご機嫌なガレージ・メタル・カルテットとして立ち、ゆったりとジャムっていた。ジェイソンの感触はある程度、(メタリカとしての)資格を有するものであった。ビニール盤が支配的だった最後の年に、メタリカが次のリリースをミニアルバムあるいはEPから始めるくらいには。(こうしてリリースされたのが)『The $5.98 EP:Garage Days Re-Revisited』である。タイトル自体が物語るように、小売業者がより高値のLPとしてEPを売ることを防ぐためにメタリカが取ったやり方だった。EPに収録された5曲と、歪ませたアイアン・メイデンの「Run To The Hills」のフェードアウトは、ガレージの燃えるように熱いマーシャル・アンプの前に立った時、参考としたのはNWOBHMのバンドだけではないことを示していた。明らかにNWOBHM時代から持って来たダイアモンド・ヘッド(Diamond Head)、ブリッツクリーグ(Blitzkrieg)、70年代初期のブリティッシュロックバンド、バッジー(Budgie)といった粋を超えて、メタリカはお気に入りのホラーパンクバンド、ミスフィッツ(The Misfits)、そして同様に70年代のニューウェーブ・シーンから出てきた英ロックバンド、キリング・ジョーク(Killing Joke)のカバーも選んでいる。彼らは後にインスピレーションの点で、サウンドガーデン(Soundgarden)やトゥール(Tool)のようなスタイリッシュなバンドによる90年代ルネサンスをもたらすことになる。

EPはラーズのガレージではレコーディングされなかった。メタリカは『Master Of Puppets』の頃まで長いこと探してきたスタジオで最終バージョンのレコーディングを行った。それがロサンゼルスのコンウェイ・スタジオ(Conway Studios)である。そこで彼らは7月4日から数日を使って、ジャズ/カントリー/ウェスタン担当のサウンドエンジニアの指揮であっさりレコーディングしたのだ。メタリカは自分たちをプロデューサーとして名前を載せたが、自嘲してアルバムカバーには「not very produced by Metallica」と記された。

このEPのやり方は、ラーズの好きな表現を使えば、とても「ルーズ」だった。そんなコンセプトではあったが、EPは8月に発売された。EPのレコーディングやライヴセットの練習もできるほど、フルパワーのジェイムズが戻ってきて、Qプライムのマネジメントは主要なパートナーであるラーズ・ウルリッヒと、8月にヨーロッパの大きなフェスティバルにブッキングすることに合意した。

ヨーロッパにおけるメタリカの新しいレコードレーベルのポリグラムは、収穫前の地ならしを非常によく準備していた。HR/HM界の2つのビッグネーム、ボン・ジョヴィとディープ・パープルが、ドニントン、そしてドイツで2公演行われるモンスターズ・オブ・ロックにそれぞれヘッドライナーとして名を連ねていた。この3つのショーで延べ12,000人のハードロックファンにメタリカを紹介することは、ポリグラムとしては当然の選択だった。このようにしてポリグラムは今やメタリカのために少なからぬ努力をみせていた。メタリカはバンドの形を固めていくほど、文字通りゴールド以外の何かを出すことは難しくなっていた。『The $5.98 EP:Garage Days Re-Revisited』のような国外に出ていない商品でバンドはゴールド・ディスクを獲得した。つまり、アメリカで50万枚売上げ、デンマークではTOPシングル・チャートにさえランキングされたのである。

以前のビニール盤時代のように12インチのマキシシングルである『The $5.98 EP:Garage Days Re-Revisited』はシングルチャートの資格を得て、TOP5という高い位置を獲得したのだ。

「あれでデンマークがメタリカに初めて気付いたんだ。」レーベルのマーケティング担当者デニス・プロウグはそう振り返る。「マスコミはバンドにラーズがいることをキャッチしていた。デンマーク人だし、有名なお父さんがいたからね。でも『Garage Days』が出てチャートに入った・・・それからみんな彼らに本当に気付いたんだ!ライバル会社たちが電話をしてきてこう言ったよ。「おい、やめるんだ!数字をごまかしてるんだろ!本当にあんなに売ったのか?」それで私は彼らにこう言うのさ。「小売業者に電話して、どれだけ彼らが買ったか聴いてみてごらん!」ってね。」

(こうした快進撃は)世界規模のツアー無し、あるいは重要な(本当にそうなのか?)ラジオやテレビの報道さえ無しでのことだった。ミュージック・ビデオもまだラーズにとって問題ではなかった。

ドイツ南部での後半のモンスターズ・オブ・ロックの日々のなか、ラーズは例外的にチャートはチャート、メタリカはメタリカだと放っておいた。ラーズとガールフレンドはかなりロマンティックな夏の休暇を取っていたのである。

「ドイツでのモンスターズ・オブ・ロックのショーの後、デビーと俺はバハマに飛んで、ナッソーの市役所で結婚したんだ。それは俺たちだけの秘密だった。」ラーズは回想する。しかし自身で少し訂正した。「秘密だったかどうかわからないけど、俺たちが行くことは公表してなかったからね。でも俺たちはそこで結婚したんだ。そう、とても自然なことだったんだ。とても自然な流れだった。」

ラーズは新たに「夫」という立場を獲得して、87年秋にノース・バークレーで次のメタリカのプロジェクトに取り組んだ。そして、リフ・テープを聴き、新しい曲のかけらをみつけ、バンドのために小さな先駆的プロジェクトを考え出していた。

そのプロジェクトは傷の付いたオーディオビジュアルのようなものを作るというもので、『The $5.98 EP:Garage Days Re-Revisited』に代表される芸術的にうってつけなガレージの美学でもあった。もちろんビデオという表現法を使うというメタリカの最初の試みは、ただ曲やシングルのビデオを撮影するというわけにはいかない。メタリカのスポークスマンとして、ラーズは外見上、クリフの死を重要視しないことにとても気を使っていた。(そのためにやったことは)これまでにしばしばみられたような死んだロックスターを食い物にしてきた歴史として記憶されることを避ける一方で、バンドの全般的な歴史としてクリフの思い出を尊重することだった。

ハイテクとは程遠いが、クリフと共にあったメタリカのほぼ4年の時代を写した正真正銘のビデオクリップを集めて、認められるにふさわしいクリフ・バートンへのトリビュートというコンセプトをラーズは見いだした。1986年のロスキレ・フェスティバルを含むたくさんのクリップは、ファンによって撮影された様々なアマチュアの撮影物だった。サブタイトルに『Cliff 'Em All』と付けられたこのビデオは、クリフの一連の写真と『Master Of Puppets』収録の「Orion」でエンディングを迎える作品だ。ビデオは1987年のクリスマスにリリースされ、古くからの筋金入りのファンにとって、コレクターアイテムとして予想された以上のものとなった。

数年後、ラーズは『$19.98 Home Vid Cliff 'Em All!』といううんざりするようなフルタイトルにした、このビデオについてコメントを残している。「あれが成功したのには驚いた。それ以前に何回も言ってきたように、ビッグヒットになるべきものだとは決して思わなかった。筋金入りのファンが面白いと思ってくれるかもしれないと思っただけさ。俺たちの考えとしては、『Garage Days』のビデオ版みたいなものだった。アメリカだけで100,000も売り上げたと聞いて、相当驚いたよ。」(マーク・パターフォード著『Metallica: In Their Own Words』2000年刊行より)

同時にメタリカはさらなる経験を積んだ。特にビデオという分野において。副次的な利点がひょっとしたらあったのだろうか?

英訳元:http://w11.zetaboards.com/Metallichicks/topic/794989/11/

garagedays

この頃のリリースにいちいち値段をタイトルにつけていたのはメタリカ株が急上昇していた証でしょう。『Garage Days』のカセット版が発売された時には、「ヤツらがこれ以上の値段にしやがったら、盗め!(If they try to charge more, STEAL IT!)」と書かれたステッカーが貼られていたとか。

残念なお知らせがひとつ。これまでラーズ伝記本(原著はデンマーク語)の有志英訳を和訳してきたわけですが、この有志英訳が完結していませんでした・・・。タイトルはグラミー賞取るところまでとなっていますが、グラミー賞取る前に終わっています。前回予告どおり、次回がこのシリーズの最終回となりますが、尻切れトンボになっていることをあらかじめご了承ください。

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