おちゃめなカーク・ハメットが表紙の「Metal Hammer」2014年4月号。

kirkhammettmetalhammerapril2014

カークのロングインタビューのなかで、メタリカ加入に関するエピソードを抜粋してご紹介。

1983年のエイプリル・フール。カーク・ハメットがトイレで座っていると電話が鳴った。声の主はエクソダスのマネージャーであり、メタリカのサウンド・エンジニアでもあるマーク・ウィテカーだった。彼はカークにデイヴ・ムステインがメタリカを解雇されたこと、そして後任ギタリストを決めるオーディションのため、カークがニューヨークまで飛行機で来ることをメタリカが望んでいると告げたのだ。

「電話を切った後、俺は『今の電話は信じられない。エイプリル・フールのいたずらじゃないのか?』って感じだった。それから数日後、メタリカからデモテープが送られてきた。でも俺はそのテープをもう持っていたし、デモの曲の3分の2は知っていた。『彼らはすげぇや。でも俺が一緒ならもっと良くなる!』って思ったのさ。」

その電話は彼の人生、我々の人生をも変えた。永遠に。しかし、エクソダスとして始めたばかりのバンドメイトに、ライバルのスラッシュ・メタル・バンドに加入するためにバンドを去ることを告げることは決して簡単なことではなかった・・・。

「彼らは怒っていた。怒っていたよ(※訳注)。俺はポール・バーロフと飲んでいたときに、やろうとしていることを彼に告げた。彼はそれは怒って、俺の頭からビールを浴びせた。『おまえがこんなことするなんて信じられねぇよ!カーク!』と言って、持っていたビールを俺の頭から浴びせたんだ。俺はただそれを受け入れて『あぁ、あぁ、わかってる・・・』って言うしかなかった。」

カークはFearFestEviLにエクソダスをブッキングし、共にステージに立ち、今日ではもちろん彼らのあいだにわだかまりはない。しかし、カークは自分が始めたバンドを去ったことについて心苦しく思っていたことを認めた。

「あぁ罪悪感があったよ。でも彼らにたくさんの音楽を残していった。俺が書いた多くの音楽が1stアルバムに収録されることになったし、彼らが作ったことのない他の曲もレコーディングしていた。それについて俺は何も言わなかった。俺が彼らのもとを去ったんだから。いつも罪悪感を感じていたんだ。」

※訳注:原文はPissed。「怒る」の意味の他、「酔っ払う」「困惑する」などの意味もある。

「Metal Hammer」2014年4月号より

和気あいあいぶりがステージ上から伝わってきたFearFesrEviLでのエクソダスとの共演。ほっこりしたことを思い出しながら記事書いてました(笑)

4月1日にそんなこと言われたら、絶対に信じられないだろうなぁ・・・。こうして1983年4月11日、メタリカに加入を果たすカークでありました。


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