早いものでメタリカがブラック・アルバムを発売してから20周年。。
よくランキングネタなどを提供してくれるmusicrader.comが20周年記念としてボブ・ロックにブラック・アルバムについてインタビューしています。
いつもどおりの管理人拙訳にてどうぞ。

【ブラック・アルバム全曲解説】

「楽しい、簡単なんてモンじゃないよ、レコードを作るってのは。」

ブロデューサーのボブ・ロックは『ブラック・アルバム』として広く知られる、メタリカのセルフタイトルとなる5thアルバムについてこう語る。

「まぁ自分たちは笑ってたけど、コトは簡単じゃなかった。これが終わったら、二度と一緒に働かないと彼らに話したくらいだ。彼らも私に同じようなことを感じてたよ。」

1990年の秋、ボブ・ロックがメタリカとセッションを始めた頃、バンド(ジェイムズ・ヘットフィールド(vo, g)、ラーズ・ウルリッヒ(dr)、カーク・ハメット(g)、ジェイソン・ニューステッド(b))は既に1988年の『...And Justice For All』がプラチナムを獲得し、カルト・スターから一気にアリーナクラスのヘッドライナーとなっていた。

「彼らはあるレベルまで切り開いてきた。だが、まだメインストリームのラジオではオンエアされていなかった。彼らが私のもとに来たとき、ビッグに、大物になって飛躍する準備は整っていたんだ。たくさんの人が私がバンドを変えたと思っている。私は変えちゃいない。彼らは頭の中で既に変わっていたんだよ。私と会ったときには。」

ただ、ボブ・ロックがグループを上昇させる企てに何の手助けもしていないというわけではない。それまでのレコーディングで欠けていた豊かで大衆的な活力を与えた。レコーディング過程でラーズのドラム演奏の取り組みに関わった。ボブ・ロックはこう語る。「ラーズがジェイムズのギターに合わせてドラムをプレイしているのに気付いたんだ。ずっと(ザ・フーの)キース・ムーンがピート・タウンゼントとプレイしたようにしてたんだ。バンドによっては最適なんだけど、全てのバンドではないんだよね。」

「ラーズはメタリカにもっとグルーヴを望んでいた。AC/DCの『バック・イン・ブラック』はグルーヴを持ち込んだロックのレコードという点においてかなり参考となった。私は彼にあんな感じを出すために、音楽的に焦点を合わせなければならないと彼に言ったんだ。それでいくつかの曲では、バンドはラーズの方を向いてプレイしたんだ。バンドが彼の後に続いてプレイしたんだ。あれは本当に違いが出たね。」

一方、ジェイムズ・ヘットフィールドはさらに大きな変遷を遂げていた。そのなかには意義深い影響を持つものもあった。ボブ・ロックが言うには、「彼は自分の書く歌詞でさらなる深さを求めていた。彼は歌に重要性を持たせたかった。(そこで)私たちはボブ・ディラン、ジョン・レノン、ボブ・マーリーのような優れたソングライターについて話したんだ。そして彼は自分自身のための曲は書くことができるが、さらに他人をも感化させると理解したんだと思った。彼は苦しみもがいていた。でもソングライターとして、とてつもない躍進を遂げたんだ。」

1991年8月12日にリリースされたブラック・アルバムはすぐに芸術的偉業として称賛された。初登場1位を獲得、「Enter Sandman」「Sad But True」「The Unforgiven」「Nothing Else Matters」「Wherever I May Roam」といったラジオのオンエア・ヴァージョンを加えたシングルを生み出した。商業的には、このアルバムは巨大なものとなった。売上げは圧倒的な2200万枚、メタリカは世界的なスーパースターとして確固たる地位を築いた。

次のページから、(それでもなお、結果としてメタリカと5つものプロジェクトを一緒に行うこととなった)ボブ・ロックがリリースから20年を迎えたブラック・アルバムを振り返り、全曲解説を行っている。「私個人としては人生最大の成果かもしれない。」彼は続けて言う。「バンドも同じことを言うと思うよ。」

musicrader.com(2011-08-01)

以上はプロローグのみですが、参照記事のなかではブラック・アルバムの各曲についてボブ・ロックが解説しています。ちょっと日本語訳は力尽きたので続きはここかメルマガで(苦笑)

ジャケットを真っ黒にしたのもAC/DCの影響かしら。。

Metallica
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