内容に偏った部分もあるように思いますが、
概観を知るにはとてもよい記事を英訳にて。

長いので部分的に端折ってます。

【四天王とともにスラッシュメタルが還ってきた】

「人間の魂の核心に語りかけてくるんだよ、なぁ。」

Metallicaのギタリスト、カーク・ハメットは
スラッシュメタルの変わらぬ魅力について説明した。

「マジだぜ。どんな文化的な背景をもっていようが、
どんな年齢だろうが、どんなファン層だろうが、
ビートとエネルギーが語りかけてくるんだ。
もし(スラッシュメタルを)耳にして、関わったら、
万事完了さ。人生の一部になるんだ。」


誰が反論できようか?なにしろ我々が会ったとき、
彼は7日に渡ってヨーロッパ中で50万人のメタルファン
のためにライヴを行っている真っ最中だったのだから。

そこに居合わせたメタルファンはありえないと
言われてきたショーの目撃者となった。
スラッシュメタル四天王のMetallica、Slayer、
Anthrax、MegadethがSonisphereのツアーで
30年近いキャリアで初めて同じステージ上でライヴを行ったのだ。

苦々しい反目があったにも関わらず、予想だにしない
和解とこれまでのエゴの大きさを超えるほどの
驚くべき謙遜を見る機会となった。
「Metallicaがみんなを洞窟から引っ張り出してきたんだ。
みんながヤツらを見に来るんだ。俺たち残りのモンは
殺人ケーキの上にまぶされた砂糖みたいなもんだ。」
とSlayerのケリー・キングは認めていた。)

そして何より、ほんの10年前に死んで埋められたと
思われていたジャンルが生き残り、4つのバンドが
薬物中毒といった個人的な悲劇、創造力や
コミュニケーションの断絶といった無数の障害を
彼らなりのやり方で打ち負かし復権を果たした証となった。

スラッシュメタルは大部分、カルフォルニアの一握りの
バンドによって鍛え上げられた。彼らはJudas Priest、
Angel Witch、Iron MaidenといったNWOBHMの
グループのヘッドバンギングの疾走を持ち込んだ。

(中略)

ニューヨークのトレンドに抗っていたAnthraxの
創設メンバーであり、ギタリストのスコット・イアンはこう語る。

「俺たちは負け犬だったんだ。俺たちはもっとビッグな
バンドを見ていて考えていたんだ。『俺たちこそ真のメタルだ。
おまえじゃない』ってね。今思うとなんてバカなんだって
感じだけどな。でも俺は完全にそういう考え方をしていたね。」


しかし、この考え方は時代思潮を捉えたのだ。

「キッズたちはBon Joviとかを聴いて育ったかもしれないが、
15歳になったら、そういったものはもう欲しがらない。
Anthrax、Metallicaを聴き始めるからな。そして俺たちの
ミッションはダークサイドに落ちるのを止めることさ!」


(中略)

Megadethのデイヴ・ムステインにとってヘヴィメタルの
新しい出番がやってきたのだ。妥協なきヴィジョン、
音楽的にも詞的にも頭カラッポのパーティーバンドとは
程遠い、メタルの上座から排除されてきた四天王の出番が。

「おそらくいまだにグラムメタル出しているヤツがいて
そのクソみたいなモンを買っているニセチチつけた
たくさんの女がどっかにいるんだ。でもヘヴィメタルが
本当に好きなヤツのためのスラッシュメタルは
男の音楽とか考えてやがるんだ。アイツらはメタルな
ヤツらをおとしめ、バカに見えるようにしやがった。
(選挙投票キャンペーン【Rock the Vote】で)
90年代にホワイトハウスに行ったとき、多くの人が
『まぁ彼はそれほど賢くないだろう』と考えていたんだ。
それとは反対に、俺はとても雄弁だったわけだがな。」


それにも関わらず、90年代初頭グランジが登場したとき、
スラッシュメタルの開拓者たちは突然、自身が荒地にいる
ことを思い知らされた。Metallicaはスーパースター界まで
ひた走っていたかもしれないが。(たとえ筋金入りのファンが
Metallicaの音楽はやわになったと言っていたとしても)
残りの彼らは仲間に取り残されたのだ。

四天王のうち、もっともマンガのようなキャラクターであった
Anthraxはより暗く、より内省的になっていく音楽風景に
対処するのは難しいことだと気付かされた。

「オルタナティヴ・ロックが90年代にあらわれたとき、
俺たちは『アイツらはMTV全番組に出ておきながら、
どこがオルタナティヴ(これまでの主流に代わるもの)
なんだ?俺たちこそがオルタナティヴだろ!』って
感じだったよ。」
とスコット・イアンは嘆く。

Slayerの恐ろしいライヴの評判は、狂信的なファンを
勝ち取った。しかし彼らの90年代は質においても
量においてもムラがあった。そして創造的な問題は
彼らの心配事のなかでは一番小さいものだった。
Slayerをよく聴いていたと言われている3人の
クラスメートによってカルフォルニアの15歳少女が
殺害されたことで事件はバンドに原因があるとされたのだ。
Slayerに対する訴訟は2001年にようやく棄却された。

Megadethにおいてはデイヴ・ムステインはバンドメンバーと
以前の同僚たち同様に終わりなき確執のなか、10年の半分を
ヘロイン中毒で費やしていた。

Metallicaはこれまでと同じくらいの華々しさで不興を買った。
90年代の音楽的選択について不平を言う人はいたけれども、
2000年にファイルシェアのNapsterと法廷闘争を行った。
Metallicaの未発表音源をオンラインで漏らすことに
ついに我慢の限度を超えてしまったのだ。

Metallicaのファン層は80年代、アンダーグラウンドに
おけるテープ交換によって確固たるものになっていた。
Napsterの出来事は短気で浅はかと思われ、ドラマーで
バンドの頭脳でもあるラーズ・ウルリッヒはヒーローから
憎悪の対象となった。Metallicaの評価すべきは
芸術的、また個人的な問題の極みにいたときに
ジョー・バーリンジャーとブルース・シノフスキーに
驚くほどあけすけなドキュメンタリーを作ることを
許可したことだ。その結果が「Some Kind Of Monster」で、
創造性が底の時期の「St. Anger」製作過程で彼らが
小競り合いをしたり、不機嫌になったりしている
グループの危機が記録されている。

しかしながらカーク・ハメットはあのレコードは
作らなければならなかったと信じている。

「俺たちはバラバラだった。俺たちは集中して取り組む
何かを持ち、みんなでひとつになれた。いつでも
曲を間違った方向に行き着かせることだってできた。
でも俺たちはラップメタルレコードを作ることは
なかったんだ。神に感謝だな。」


(中略)

注目されなくなってきたことはスラッシュメタル創立の
父たちにとって信じがたいことだった。そのうち、
MetallicaとSlayerは「Reign in Blood」のプロデューサー、
リック・ルービンに協力を求めた。そうして出来たのが
「Death Magnetic」であり「Christ Illusion」である。
これらはこの10年で商業的にも批評的にも、もっとも
成功したレコードとなった。

「1985年から90年にかけて、みんなとんでもねぇすげぇ
レコードを出していたよ。そして俺たちはまたやってやったんだ」

と、ケリー・キングは認めている。

デイヴ・ムステインは腕の故障でキャリアを脅かされていた
状況を克服し、Megadethを再結成した。Anthraxはシンガーで、
彼らのもっとも愛されているレコードのボーカルを担当していた
ジョーイ・ベラドナに再び協力を求めた。

そして、その奮闘ぶりにも関わらず、スラッシュメタルで
もっとも嘲笑されていた看板、ラーズ・ウルリッヒは
4つのバンドがようやく集まり、50万人の献身的な
ヘッドバンガーたちのためにライヴを行った。

「過去40年を振り返っても、こんなことをする4バンドを
みつけることなんてできないだろうね。俺たちみんな、
こうしてここにいて、やればできるんだよ。やべぇよ。」

スコット・イアンはこう語る。

こうして注目すべき節目となったが、間違いなく
もっとも驚かせたのはメタルの永遠の偏屈者、ムステインだ。
Metallicaとの過去の出来事に和解したのだ。

「バックステージで、ジェイムズと俺は話したよ。そして
ハグしたんだ。これまで自分たちがしてきたことを互いに
謝罪したよ。そしてラーズと俺はディナーに行こうと
話したんだ。こんなことが起きるなんて誰が思ったろう?
でも俺たちはそうしたんだ。ヘヴィメタルの名においては
思い切ってやっちまえってことだ。」


Jamie Thomson

guardian.co.uk(2010-07-22)

こうしていろいろ振り返ってみると本当に奇跡的な
イベントだったんだなぁと思います。

いつもどおりの拙訳にて誤訳等あれば、お知らせください。


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